神様なんていないと感じた過酷な幼少期

私は、毒親のもと機能不全家庭で育ちました。
子ども時代に幸せだった記憶はありません。
両親は常に夫婦喧嘩をし、骨を折る、床が血まみれになる、家の中は悲惨な状態でした。
一番辛かったのは、その夫婦喧嘩を正座をして見せられる事です。夜中だろうと関係ありません。その光景は人を殺しかねないほどのものでした。恐怖で泣く事しかできず、その時の情景は今でも脳裏に残っています。
機能不全家庭ですから、両親はほとんど家にいません。
皮肉な事にその方が夫婦喧嘩が無いので安心はありました。
ですが食事がありません。洗濯も自分でしなければなりません。小学低学年の私は料理を作る事も出来ず、お腹が空いたら塩を舐めて水を飲む事ぐらいしか思いつきませんでした。
常に心もお腹も満たされない、どうして私だけ…普通の家庭が良かった…生まれてこなければ良かった…神様なんていない…そう思いながら毎日生きていました。
その後、父親は多額の借金を母親に押し付け、別の女性と姿を消しました。
父親はいなくなりましたが、母親は借金返済の為、昼夜関係なく働きに出ました。
たまに自宅に帰ってくると、母親はストレスで暴れ狂い、家の中は滅茶苦茶でした。
両親からの愛情を1ミリも感じる事が無かった子ども時代。
成人~モラハラ夫との結婚生活で感情を無くす

大人なった私は医療職に就くために国家資格を取得しました。
『困っている人を助けたい』そう強く思ったからです。
そして当時お付き合いをしていた人と結婚をし、子どもを授かりました。
自分の子どもには、私のような辛い思いを絶対にさせない、この子を幸せにする、そう心に誓いました。
しかし、そんな思いはすぐに打ち破られます。
夫が変わり始めたのは、子どもが生まれてからでした。
「子どもを優先にするな」「俺ファーストにしろ」
「お前が勝手に生んだのに、なぜ俺が手伝わなければいけないのか説明しろ」
など話しが通じません。完全にモラハラ夫でした。
経済的DVもあり、自由に使えるお金は1円もありません。
当時の私は【普通の家庭】を知らなかった事もあり、自分が我慢をすればいい、と思い感情を押し殺し、夫を怒らせないように過ごす日々でした。
体調に変化 生きる気力も希望も失う

確実に心身ともに病んでいくのが分かりました。
体重は減少し、髪はごっそりと抜け落ち、動悸や眩暈、胃痙攣に胃潰瘍…
身体が沼に、はまったかのように重く、気力が沸かない毎日。
夫に相談をしても「お前に使う医療費は無い」「精神を鍛えろ」と言うだけで露骨に嫌な顔をされます。
ですが、もう限界でした。自分で何とかできる状態では無かった為、メンタルを受診。
診断は過度なストレスによる【社会不安障害】と【鬱】でした。
そして私だけでは無く、子どもにも日常生活に異変が起きました。
朝が起きられず、日中は胃痛で食事が摂れず、立ち眩みや眩暈、頭痛、常に学校からのお迎えの連絡がくるようになりました。
原因は【起立性調節障害】でした。医師からは「かなり重度の血圧低下がみられる」と言われ、家族の理解とサポートが必要と言われました。
子どもがこういった状況になってもモラハラ夫は自分には関係ないかのように
「お前の育て方が悪いから、子どもに怠け癖がついた」
子どもに対しても「お前には気合いが足らない」と怒鳴り、病気についての話しは全く出来ませんでした。
孤独でしかなかった ワンオペ育児

子どもを出産してから、ずっと1人で子育てをしてきました。
モラハラ夫も毒母も自分が1番なので、サポートはしてくれません。
仮に何か助けてもらったら、永遠に恩着せがましく言われ続けます。
私の人生は何のためにあるのか…
いっその事、消えてしまいたい…
そんな思いを抱きながらも、目の前には子どもがいます。
子どもを守らなければ…
モラハラ夫や毒母のような人間になってもらいたくない…
子どもには心がある人になってもらいたい…
このままでは自分も子どもも心が潰れてしまう…
幸せになる為に離婚を決意

そんな中、病院の先生の勧めで、カウンセリングを受けました。
生まれて初めて、外部の人に自分の内の中の話しをしました。
とても緊張した事を今でも覚えています。
カウンセラーに話しをする事で、今の自分が置かれている状況や、自分の気持ちを認識することが出来ました。
それまでは心のどこかで『自分が弱いからダメなのではないか』
『毒母やモラハラ夫の言っている事が正しいのではないか』
そのように自分を責めている部分があったのが、カウンセリングを受けた事で
『自分の気持ちを大切にしてもいい』
『私は間違っていない』と強く思う事が出来ました。
そして何度かカウンセリングを受けるうちに、私の考えが大きく変わりました。
モラハラ夫と毒母から解放されたい。
子どもを幸せにしたい。そして自分も幸せを感じたい。
その後、一筋縄ではいきませんでしたが、無事に離婚が成立しました。
それと同時に毒母からは縁を切られました。
最後に言われた言葉は「お前なんか生まなければ良かった、不幸になれ」
と怒鳴られ終わりました。
世間体を気にする上に見栄っ張りな毒母は私の離婚が許せなかったのです。
人生を振り返ると…

幼少期から、孤独、悲しみ、寂しさ、恐怖、辛さを常に心に抱えて生きてきました。
そして離婚を選択する前も後も、精神的にとても辛かったです。
戸惑いや不安、負の感情に何度も潰されそうでした。
でも、あの時に親身になって話しを聞いてくれ、私の気持ちに寄り添ってくれたカウンセラーの方のお陰で、私は幼少期から抱えていた負の感情から脱出する事が出来ました。
長年に渡って毒母とモラハラ夫に洗脳されていた思考が剥がれ落ち、自分の気持ちを見つける事が出来ました。
『自分の気持ちを大切に生きて行こう』そう思えるようになったのです。
そして子どもは、モラハラ夫と離れた事で、起立性調節障害の症状が日に日に良くなりました。
あれから6年経ちましたが、今では自立した生活を送れています。
私に出来る事 悩みを抱えている人を助けたい

離婚後は、医療職をしながら心理学を学びました。
本当に困っている人、辛い思いを抱えている人の手助けがしたいと思ったからです。
私のような生い立ちや家庭内の事情、親子の関係性など、楽しい話題なら人に話せれるけど、そうじゃない場合は打ち明けにくいものです。聞かされた方も反応に困るのではないか…
以前の私がそうだったように、1歩を踏み出すのは、とても勇気が要ります。
ですが、その1歩で苦しみから解放され、沈んだ心が軽くなるように、私があなたの【不安】も【恐怖】も一緒に受け止め、寄り添います。
あなたが心に抱えている荷物を軽くするお手伝いをさせて下さい。
私があなたの心に光を照らします。そして心のバネを強くしなやかにしましょう。